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DATE:2026.02.15サッカー部

秋田浩一監督インタビュー前編~駒大44年の指導の原点~

駒澤大学サッカー部のコーチ、そして監督として44年間にわたりチームをけん引してきた秋田浩一監督。その長きにわたる歩みへの感謝を込めて1月30日に「秋田浩一先生 退任記念感謝の集い」が行われた。

本記事では、この節目にあたり、秋田監督に44年間の監督人生の歩みと、指導に向き合う姿勢、選手たちへの思いや大切にしてきた考え方について話を聞いた。
今回は、前編をお届けします。

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式典で感謝の思いを語る秋田浩一監督(全て提供:野澤俊介様)

○ サッカーとの出会いと指導者の原点

ーーサッカーを始めたきっかけと、指導者を志した理由は
「地元の茨城県日立市に初めてサッカー少年団ができ、練習会に誘われてやってみたら『やるじゃないか』と褒められたことがきっかけだった。指導者を目指したのは、水戸商業高校時代の恩師?助川和夫先生との出会いがあったから。先生は『人を育てること』を第一に考えている方で、人としての生き方や歩み方、仲間への思いを強く教えてくださった。特に3年次時は先生が茨城国体ですごく忙しく、多くの練習を僕たちに任せてくれた。そこで、練習の組み方や起用法を学んだ。助川先生は目標の人で、指導者になりたいと思わせてくれた先生。感謝する出会いだった」

ーー助川先生とのエピソードや、今でも大切にされている教えは
「先生がよく口にされていたのは、司馬遷の『史記』の中の「士は己を知る者の為に死す」という言葉だった。名誉やお金ではなく、自分を理解してくれる人のために戦うのが男であり、チームスポーツだと。また、『自分の師は選手たち』という考え方も教わった。自分が学んできたこと以上に選手たちから教わることは多い。だからこそ謙虚さと向上心はとても大事だということを学んだ。『男の人生、出会いとロマン』という言葉も大好きな言葉。縁があって出会った仲間と夢を語り、一緒に頑張って夢を達成しよう。今でもそう思っている」

ーー大学卒業後、母校?駒大で指導者の道を歩むことになった経緯は
「大学で、前監督の原山先生に誘っていただき、運良く大学の助手になった。駒澤大学は母校だったので、ありがたい話であり『ここで命をかけてやろう』と思った。熱心に誘っていただいた原山先生への恩返しもあり『駒大をチャンピオンにしたい』という思いが強くあった」

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これまでの歩みに思いを巡らせる秋田監督

○ 駒大で始まった指導者としての日々

ーーコーチとして教える立場になった当時について
「良い選手が多く、練習環境にも恵まれていた。ナイター設備はなかったが、みんなで歯を食いしばって、きつい練習にも取り組んでいた。僕自身、まだプレーできたのでBチームのエースとして一緒にやっていた(笑)」

ーー初めて学生を指導する中で、特に難しさを感じた点は
「難しかったことは、大学生という青年期に差しかかり、さまざまな誘惑がある中でサッカーに青春を懸けるということ。練習の厳しさを選手たちに理詰めで説明し、理解させることを怠ると『なぜ俺たちは陸上部でもないのに、走るだけなんだ』という声も出てきた。でも、僕も一緒に走ることで『秋田に負けてたまるか』という対抗心が生まれ、次第に仲間意識へと変わっていく。その変化がとても嬉しかった」

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ーー時代や選手によって、指導のスタイルはどのように変化してきたのか
「伝え方が変わった。人も違うので、過去に通用していても今は通用しない、言えないこともある。指導の思いや気持ちは変わらないが。以前は「こうでしょ、ダメでしょ、こうだ」と言っていたことが、今は「そうじゃないよね、こうやった方が良いよね」みたいに褒めて伸ばした方がいいという考えになった。大人だって褒められた方が嬉しいでしょう。1つ褒めてから2つ伝える。見方や言い方を少し変えれば、その子の良さやプレーの魅力はこれまでと違って見えてくるし、新しい可能性がきっとある」

プロフィール

秋田 浩一(あきた こういち)
1955年9月2日生まれ。茨城県日立市出身。水戸商業高卒業後、駒大、国士舘大で選手としてプレー。1981年駒大サッカー部コーチに就任。1997年監督就任。

02、03、05年 関東大学サッカーリーグ1部優勝
97、01、04、05、06、21年 全日本大学サッカー選手権優勝
02、03、04、10年 総理大臣杯優勝
2008年 全日本大学選抜監督
2009年 ユニバーシアードセルビア大会日本代表監督

聞き手:野澤俊介、藤井菜美、前田琴音

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